2007年11月27日

174)定年制「年齢で強制引退を誰が考えたの?」

ちょっとマイナーですがエスパルスの久保山選手が先週の土曜日、日本平スタジアムで引退セレモニーを行いました。横浜フリューゲルスがクラブを解散する前の1998年天皇杯決勝でエスパルスと戦い、当時フリューゲルスのFWだった久保山選手に逆転ゴールを決められエスパルスが優勝できなかったことを覚えています。その選手が翌シーズンからエスパルスの一員となりました。まだ31歳という年齢でサッカー選手としては若い引退ですが、今年は怪我に泣かされ試合に出ることが出来ないシーズンだったからです。又、鹿島から名古屋、そして京都へ移籍した秋田も今年でユニフォームを脱ぎました。38歳だったと思います。

とかくスポーツ選手は引退と言う節目を持ってスポーツの現役を退き、次の人生を歩みます。ボクシングの亀田家の問題があったときも若干20歳の長男が引退をほのめかす発言もありました。それは、スポーツをすることの限界を感じたわけではなく、不祥事による責任を取るという意味でした。40歳を過ぎてもJリーグで活躍している超有名選手もいます。野球でも40歳をとっくに超えたピッチャーが来年もプレーします。22日の新聞記事で驚いたのですが46歳で相撲界を引退した力士がいました。
序二段の一ノ矢力士です。24年間稽古をしてきたようです。

スポーツ界では体力、気力が生命線で、「もうだめだ」と思ったときが引退時期です。それと比較するとサラリーパーソンは年齢と言う引退時期を選択しなければなりません。まだまだ頑張れるのに、まだまだ仕事が出来るのに、まだまだ能力を発揮できるのに、引退(定年)を選択しなければなりません。勿論、経営者では70歳過ぎの方々も多くいます。静岡で有名な自動車会社の会長さんは77歳で、バリバリです。65歳まで定年が延長されましたが、誰が年齢で判断しなければならない仕組みを作ったのでしょうか?ましてや、ある一定の年齢になると役職定年と言った制度もあります。同じ仕事をしても給料が下がり、役職者ではなくなります。生活のために継続する人が多いのですが、モチベーションがあがるわけがありません。勿論後輩に譲るということも大事ですが、本当にそれでよいのでしょうか?

今後の少子高齢化と就業人口の変化が進展する日本社会のなかで企業が生き残っていくためには、あらゆる人材の有効活用が図られなければならないはずです。その意味では明らかに現状の定年制度は意味をなしていない。「一定の年齢が来たら自動的に雇用関係が終了する」という基準で有能な人材のモチベーションが維持できるはずがない。と認識者は言っていました。就業人口の変化により多くの外国人を雇わなければならないといった考えの人もいるようです。若者に選択の自由を与えすぎた結果の弊害かも知れません。

定年とは「退官・退職するきまりになっている一定の年齢」と辞書に載っていました。人に決められた引退時期を選択するより自分で引退時期を決めるほうがどんなにすばらしいことではないでしょうか?そのような気持ちで仕事に打ち込んでいれば、現在のような社会現象にはならなかったかもしれません。多くの人が起業したかもしれません。決められた引退を選択する前に、早く自ら引退宣言をして次のことに打ち込みたいとつくづく思いました。




Posted by walt at 22:11│Comments(0)
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