2010年02月05日
944) サントリーの「やってみなはれ」
少しショッキングな事がありました。毎年かぶと虫の幼虫が誕生し、翌年6月末には成虫となり
卵を産んで、又幼虫が誕生するという繰返しをしています。昨年夏の終わりには100匹近い
幼虫が誕生し、2か月に1度づつ餌となるマットを交換してきました。昨年12月にも交換し、
あとは暖かくなる3月までそのままにして置く予定でした。久しぶりに様子を見ると、4つの
ケースのうちの一つに異変がありました。幼虫がマットの上に出て、色が変わっていました。
マットの中にいるいはずの幼虫を全てチェックすると、全て死んでいました。こんなことは
過去一度もありません。12月に交換したマットに何か成分が入っていたとしか考えられません。
それにしてもかわいそうな事をしてしまいました。残りのケースは大丈夫だと良いのですが...
先日、何時だったか忘れましたがサントリーのハイボールの誕生秘話がテレビで放送され、釘
漬けになってみました。多分テレビ東京の番組だったのではないかと思います。再現フィルム
によると、サントリーの社員でウイスキーが好きで入社した主人公がどのようにして、ハイボー
ルをヒットさせたのかに焦点を当て作成されていました。サントリーはずっと赤字だったビール
事業が黒字となり。ビールに力を入れていたころ、逆にウイスキーの需要が極端に減り、新入
社員の中にはウイスキーを飲まない者、サントリーがウイスキーの歴史から始まっている事を
理解していない者もいたそうです。社内でもウイスキーがマイナーとなっている中、何とか
ウイスキーを復活させたいとのことで悪戦苦闘をしていました。又、工場にはウイスキーの
命を作るブレンダーの存在が大きく、それを乗り越えての商品化でした。
当方が学生の頃、30年程前の事ですが、下宿の部屋には必ずウイスキーがありました。家で友人
と飲むときはいつもウイスキーでした。安かったこともありますが、今のように色々なリキュール
が無かったこともあったと思います。只、我々の世代はさんのリーのレッドではなく、その上の
ホワイトでした。レッドが500円、ホワイトが1,000円、そして角瓶が1,800円、だるま(オールド)
が2,200円でした。ビールの価格は覚えていないのですが、ウイスキーの価格をいまだ覚えている
ということは、それだけ馴染みがあったことだと思います。海外旅行に行けば必ずスコッチウイス
キーを3本買ってきたのですが、いつの間にか買うこともなくなりました。ウイスキーを飲んだ世代
ではありますが、我々はハイボールを知りません。コークハイはありましたが、多分我々より先輩が
ハイボールを飲んだのではないかと思います。
テレビ番組の再現フィルムでは、担当者がレストラン設計担当者とハイボールタワーという一定の
ウイスキーと炭酸水之割合そして冷たさが出てくる機会を作り、又、専門店を作ってしまいました。
又、上司に内緒でハイボール専門のジョッキを10,000個も注文してしまったそうです。そこにサン
トリーの創業当時から受け継がれている「やってみなはれ」精神があったようです。現在キリンと
の統合話が進んでいますが、本日4日、サントリーの創業家一族が新会社の株式の「3分の1超」を
保有する筆頭株主となることで両社が大筋合意したことが、明らかになりました。統合交渉で最大
のネックとなっていた持ち株比率についてキリンが歩み寄った格好で、交渉は大きく前進したそう
です。これによって、サントリーがキリンに飲まれる事はなく、創業から培われてきた精神も引き続き
受け継がれることになるだろうと思います。
卵を産んで、又幼虫が誕生するという繰返しをしています。昨年夏の終わりには100匹近い
幼虫が誕生し、2か月に1度づつ餌となるマットを交換してきました。昨年12月にも交換し、
あとは暖かくなる3月までそのままにして置く予定でした。久しぶりに様子を見ると、4つの
ケースのうちの一つに異変がありました。幼虫がマットの上に出て、色が変わっていました。
マットの中にいるいはずの幼虫を全てチェックすると、全て死んでいました。こんなことは
過去一度もありません。12月に交換したマットに何か成分が入っていたとしか考えられません。
それにしてもかわいそうな事をしてしまいました。残りのケースは大丈夫だと良いのですが...
先日、何時だったか忘れましたがサントリーのハイボールの誕生秘話がテレビで放送され、釘
漬けになってみました。多分テレビ東京の番組だったのではないかと思います。再現フィルム
によると、サントリーの社員でウイスキーが好きで入社した主人公がどのようにして、ハイボー
ルをヒットさせたのかに焦点を当て作成されていました。サントリーはずっと赤字だったビール
事業が黒字となり。ビールに力を入れていたころ、逆にウイスキーの需要が極端に減り、新入
社員の中にはウイスキーを飲まない者、サントリーがウイスキーの歴史から始まっている事を
理解していない者もいたそうです。社内でもウイスキーがマイナーとなっている中、何とか
ウイスキーを復活させたいとのことで悪戦苦闘をしていました。又、工場にはウイスキーの
命を作るブレンダーの存在が大きく、それを乗り越えての商品化でした。
当方が学生の頃、30年程前の事ですが、下宿の部屋には必ずウイスキーがありました。家で友人
と飲むときはいつもウイスキーでした。安かったこともありますが、今のように色々なリキュール
が無かったこともあったと思います。只、我々の世代はさんのリーのレッドではなく、その上の
ホワイトでした。レッドが500円、ホワイトが1,000円、そして角瓶が1,800円、だるま(オールド)
が2,200円でした。ビールの価格は覚えていないのですが、ウイスキーの価格をいまだ覚えている
ということは、それだけ馴染みがあったことだと思います。海外旅行に行けば必ずスコッチウイス
キーを3本買ってきたのですが、いつの間にか買うこともなくなりました。ウイスキーを飲んだ世代
ではありますが、我々はハイボールを知りません。コークハイはありましたが、多分我々より先輩が
ハイボールを飲んだのではないかと思います。
テレビ番組の再現フィルムでは、担当者がレストラン設計担当者とハイボールタワーという一定の
ウイスキーと炭酸水之割合そして冷たさが出てくる機会を作り、又、専門店を作ってしまいました。
又、上司に内緒でハイボール専門のジョッキを10,000個も注文してしまったそうです。そこにサン
トリーの創業当時から受け継がれている「やってみなはれ」精神があったようです。現在キリンと
の統合話が進んでいますが、本日4日、サントリーの創業家一族が新会社の株式の「3分の1超」を
保有する筆頭株主となることで両社が大筋合意したことが、明らかになりました。統合交渉で最大
のネックとなっていた持ち株比率についてキリンが歩み寄った格好で、交渉は大きく前進したそう
です。これによって、サントリーがキリンに飲まれる事はなく、創業から培われてきた精神も引き続き
受け継がれることになるだろうと思います。
Posted by walt at 00:29│Comments(0)