2009年11月22日

888)全国手もみ茶技術競技会 in 鹿児島(2日目)

全国手もみ茶技術競技会は3人一組で行われます。仕上がった手もみ茶の外観検査(形状、艶)、
内質検査(香気、水色、滋味)が検査され1等が決まります。場所は鹿児島市街から30分程の
松元町で開催されました。当方の所属する清水茶手もみ保存会総勢10人で参加し、7名が応援団
となりましたが、1人のおじさん(70歳代後半)が折角鹿児島まで来たのだから観光したいとのこと、
特に知覧の特攻隊の記念館に行きたいとのことで、当方が付き合ってレンタカーを借りて行くことに
なりました。ちょうど宿泊したホテルの向いが日産レンタカーがあり、朝電話すると、軽自動車であれ
ば借りることができるとのことでした。競技会場へは14時頃合流してくれればとのことでしたので、
8時半ごろレンタカーで知覧に向かいました。カーナビには余り馴染みがなく、その為設定に手間どい、
又見知らぬ道を走るため気遣いしました。

10時過ぎに知覧に到着しました。知覧というとお茶の産地で大規模な農園があると聞いていました
が、当方が通った道にはほとんどお茶畑がなく、ここが知覧なのかと疑ってしまいました。目的地で
ある知覧特攻平和会館で入館料500円を払い中に入ると当時の零式戦闘機や3式戦闘機「飛燕」
等3機が展示され、1,035名もの遺影が戦死した日付順で飾られてありました。ちょうど小学生の
団体が説明を聞いていましたが、説明員は30分近く当時のことを話していたと思います。涙なくして、
その話を聞けません。又展示物を見てとても切ないものを感じました。実は同行したおじさんの同級
生が特攻隊に志願して戦死したため、この場所に来たかったということを聞き、遺影を1枚づつチェック
しました。名前がわかっていたため探す事ができると思ったのですが見当たりません。係員に検索
できないものかと尋ねると、タッチパネル式のシステムがあり、名字を入力しても該当者が現れま
せんでした。係員曰く、知覧の特攻隊基地は陸軍に属し、1945年沖縄戦の特攻基地となり多くの
若者がここから飛び立って行ったとのこと。特攻隊には海軍にもあり、もしかしたらそちらかもしれない
とのことでした。過去の戦争の平和会館としては広島、長崎にありますが、何処も戦争の恐ろしさを
知らされるものです。平和会館と名付けられていると思いますが、本当に平和に対するメッセージに
なっているのか疑問に思う節もありました。終戦後もうじき65年が経過します。戦争を知らない世代が
ほとんどとなった今、戦争体験を伝えることは大事ですが、その背景と犯した過ちをクリアにして、平和
について語らなければならないとつくづく思いました。

その後、指宿へと向かいました。ご存知のように指宿は砂湯温泉で有名な温泉地です。砂むし会館
「砂楽」という砂風呂があり、ここでは900円で砂風呂と、お風呂が利用できます。会館2階で受け
付けを済ませ、1階の脱衣所で浴衣に着替えます。下着をとり浴衣になって海岸に降りるとそこは
日差しの付いた砂湯場となっています。仰向けになり砂をかけてもらいます。ちょっと熱い温度で
しばらくすると汗ばんできます。10分程が良いと書かれていました。程良い時間で砂から出て、会館
1階の砂はらいの場所で浴衣を脱ぐとその先は浴場となっており、お湯につかる仕組みとなっていま
す。お湯は海に近いこともありしょっぱいお湯でした。もし温泉旅館の砂風呂であったら2,000円程
するのではないかと思います。よって、この「砂楽」は900円で、砂風呂とお風呂が楽しめますので
お風呂好きの方にはとても良い施設と思います。なお、海岸は湯気が立っており、本当にこの場所
全体が砂湯であることがわかります。

お湯からあがり、途中食事をして手もみ茶技能競技場へと向かいました。競技はすでに終了しており
審査中でした。16:00に審査結果が出ましたが、残念ながら静岡県の3チームは上位に入ることが
できませんでした。1番は三重県でした。他県の競技者の状況を見ると若い人が目立ちました。多分
お茶の生産農家の後継ぎではないでしょうか?後継者がいるということはその事業が継続されている
事を示します。静岡でもそのような構造にならなければいけないと感じた次第です。





Posted by walt at 15:54│Comments(0)
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888)全国手もみ茶技術競技会 in 鹿児島(2日目)
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