2009年10月11日
851) 灯台もと暗し
本日のコミュニティビジネス協議会は15:00から17:30まで開催されました。商工会議所
関東ブロック大会ということでグレースーツの多いのが目立ちました。基本的には商工
会議所会員のワークショップ、分科会であり我々は招待客扱いで参加した分科会は若干
我々招待客向けの内容ではありませんでしたが、参考になることも多くありました。その後
の話し合い、懇親会も多くの方々が参加され有意義でした。コミュニティビジネスと言うと
まだ静岡ではあまり普及しておらず、これからが期待できるものです。県の担当者をはじめ
行政関連の人の参加も多いように感じました。今まで情報のなかった内容の事をすでにやら
れえいるコミュニティビジネスがあり、欲を言うと、もっと早く知りたかったものがありました。
今回の催しから今後どのような展開が図られるのか楽しみです。
今日は地域シゴトの学校で、我々グループは清水の中心市街地を自転車で見て回りました。
当方以外の自転車は銀座商店街の貸し自転車を利用しました。JR清水駅を起点として、駅前
銀座通りから旧三保線の自転車通りを経由してエスパルスドリームプラザ、日の出埠頭、
次郎長通り商店街と回り港橋のお蕎麦の蓬莱亭で昼食をとりました。そこで当方は別れた
のですが、日ごろ通っている景色やまちも目的を持って通ると、はたらしい発見があり、又、
今まで見たことのない場所を発見しました。壮士の墓もその一つで下。咸臨丸の乗組員を
次郎長が手厚く葬ったは難死は聞いていましたが、そのお墓があり、墓碑は山岡鉄舟が書かれ
たとのことでした。
その他、山本長五郎こと清水次郎長の生家に行きましたが、当方は初めて行く場所でした。
まさか無料で開放しているとは思いもよりませんでした。清水次郎長の偉業(富士山麓の開拓
は有名な話ですが、三保地区の開拓や船会社の設立、日本で最初の英語塾を開いたことなど
全く知りませんでした。清水次郎長のことは任侠人、博徒として知られていますが、晩年は
いわゆるアントレプレナーのような存在であったことはあまり知られていません。博徒として
の次郎長の方がストーリーになったからでしょう。我々のグループの若い女性は次郎長の事は
ほとんど知らない、学んだことがないとのことでしたので、これも又、不思議でした。本町界隈に
はまだ石蔵も残っており、これまた、当方の知らない事でした。まさに灯台もと暗しです。
今回自転車で狭い範囲でしたが訪れた清水のまちは思った以上に色々な素材があることがわか
りました。今後、地域シゴトの学校は地域の課題を明確にして、その課題解決に向けてプレゼン
をすることになります。今回初回の視察でしたが、視察・取材を繰り返し、グループで討論し課題
解決をするビジネスモデルを作成していきたと思います。
普段何の気なしに生活している場所でも、ちょっと見方を変えると新たな発見があると思われます。
貴方も貴方のまちを再認識してみませんか?
関東ブロック大会ということでグレースーツの多いのが目立ちました。基本的には商工
会議所会員のワークショップ、分科会であり我々は招待客扱いで参加した分科会は若干
我々招待客向けの内容ではありませんでしたが、参考になることも多くありました。その後
の話し合い、懇親会も多くの方々が参加され有意義でした。コミュニティビジネスと言うと
まだ静岡ではあまり普及しておらず、これからが期待できるものです。県の担当者をはじめ
行政関連の人の参加も多いように感じました。今まで情報のなかった内容の事をすでにやら
れえいるコミュニティビジネスがあり、欲を言うと、もっと早く知りたかったものがありました。
今回の催しから今後どのような展開が図られるのか楽しみです。
今日は地域シゴトの学校で、我々グループは清水の中心市街地を自転車で見て回りました。
当方以外の自転車は銀座商店街の貸し自転車を利用しました。JR清水駅を起点として、駅前
銀座通りから旧三保線の自転車通りを経由してエスパルスドリームプラザ、日の出埠頭、
次郎長通り商店街と回り港橋のお蕎麦の蓬莱亭で昼食をとりました。そこで当方は別れた
のですが、日ごろ通っている景色やまちも目的を持って通ると、はたらしい発見があり、又、
今まで見たことのない場所を発見しました。壮士の墓もその一つで下。咸臨丸の乗組員を
次郎長が手厚く葬ったは難死は聞いていましたが、そのお墓があり、墓碑は山岡鉄舟が書かれ
たとのことでした。
その他、山本長五郎こと清水次郎長の生家に行きましたが、当方は初めて行く場所でした。
まさか無料で開放しているとは思いもよりませんでした。清水次郎長の偉業(富士山麓の開拓
は有名な話ですが、三保地区の開拓や船会社の設立、日本で最初の英語塾を開いたことなど
全く知りませんでした。清水次郎長のことは任侠人、博徒として知られていますが、晩年は
いわゆるアントレプレナーのような存在であったことはあまり知られていません。博徒として
の次郎長の方がストーリーになったからでしょう。我々のグループの若い女性は次郎長の事は
ほとんど知らない、学んだことがないとのことでしたので、これも又、不思議でした。本町界隈に
はまだ石蔵も残っており、これまた、当方の知らない事でした。まさに灯台もと暗しです。
今回自転車で狭い範囲でしたが訪れた清水のまちは思った以上に色々な素材があることがわか
りました。今後、地域シゴトの学校は地域の課題を明確にして、その課題解決に向けてプレゼン
をすることになります。今回初回の視察でしたが、視察・取材を繰り返し、グループで討論し課題
解決をするビジネスモデルを作成していきたと思います。
普段何の気なしに生活している場所でも、ちょっと見方を変えると新たな発見があると思われます。
貴方も貴方のまちを再認識してみませんか?
Posted by walt at 01:39│Comments(0)